お金の不安がなく毎日ブログを書いて本を読んで、気がむいたときに図書館や美術館に行って、好きなだけ寝る。
理想の生活を思い浮かべると、ただでさえ憂鬱な週明けの月曜日がさらに憂鬱に。もし本当に「思考は現実化する」のならば、いっそ退職してしまっても良いのかもしれません。
お金の不安があるのは、自分が生活していくうえでいくら必要で、将来的にいくらあれば暮らしていけるのかがわからないからです。
今はまだ何にいくら使っていて、いくらあれば生活できるのかを確認中。手元には、3年分のすべての支出を記録した家計簿があるので、だいぶ整理ができてきました。
そう、私はすべての支出を記録しているのです。なのになぜ今ごろになって、節約が~とか言い出しているかと申しますと、記録している「だけ」だったからです。
社会人になってからずーっと「家計簿はつけた方が良い」とは思っていたのですが、なかなか自分に合う家計簿がなく、毎年買ってはいたものの続かず。結局、家計簿をつけることがありませんでした。
3年ほど前、「づんの家計簿」の存在を知り、試しに始めてみたところ、これが自分にはぴったりだったようで、毎日せっせと記録をつけるようになりました。「何も考えず、費目もわけず、ただすべてを記録するだけ」というのが、書くことが好きな私にはぴったりでした。
問題は、書いたら終わりだったことです。
「今日も家計簿つけたぜ」という謎の達成感はありますが、つけただけなので何のたしにもなっていません。後から見返して要・不要を反省したり、実績をもとに費目ごとの予算だてをしたり、使いすぎた翌月の支出をセーブしたりすることがないのです。
家計簿はつけること自体が目的ではなく、家計を管理するためのツールです。だから、その後の振り返りがなければ意味がありません。
というわけで、現在は購入したもの、支払ったものをせっせと仕訳して自分が何にいくら使ってきたのかを分析中。さすがに3年分あるので、だいたい自分の行動パターンが見えてきました。
ダメな点ばかりではなく、良い点もたくさんあります。
3年も家計簿をつけ続けられるというのは「続ける力」があるということです。この続ける力を、節約に回せば、もっと節約できるはず。
お酒もタバコも1円もかからずに意思の力だけで止められたのだから「止める力」もあります。
まだ家計を管理しているとはいいがたいですが、光明が見えてきました。